東京に出てきてすぐ、僕は目黒の権之助坂の高校時代の友人の家に転がり込み、1週間後、新小岩のシェアハウスに住みこんだ。
家賃40000円。(今久々にサイト見たら55,000円に共益費12,000円、計67,000円に値上がりしていた)
そこは元々、僕が昼に「何か仕事しないとな」と思い、即高給に釣られ面接に行き、御徒町にある企業で就職が決まり、そこの会社が斡旋した建物であった。
そこの企業の1日目に渡された「記憶すべき資料」を記憶し、1週間以内にその営業部の課長にその暗記した事をスラスラ言えるようになれば合格、というもので、その「記憶すべき資料」の内容が激ヤバだったのだ。
覚えてる限りで簡単にいうと、少し古めの分譲マンションに突撃訪問し、
「水道の菅がやばいですよ奥さん!水道の浄水器つけませんか?いえいえ、そんな高いものではなく…分割も可能です、はい、ここにサインしてください」
というもので、簡単にギリギリ詐欺じゃねえのかよこれ?というなかなかデンジャラスな代物であった。
「ああ、こりゃだめだ」ということで、2日目で「僕にはこの仕事はできません」と言い辞めて、そのままその足で求人誌を見て、そのまま面接に行き、新木場にある外資系運送会社に入った。
あとは住むところをどうするか、ということで、そのほぼ詐欺会社の会社の面接した社長に「でもあそこ住みたいんです」という事を言ったら、「家賃払うんならいいよ、君の名義だし」ということで、そのまま住むことになったのだ。
今思えばこれも怖い話で、勝手に自分の名義で契約させられてたのだから東京は怖いと思った。
部屋番号も、もう忘れてしまったが、ここにはいろいろな思い出がある。
今でもたまにタイ出会うような友人もいれば、そのままドイツに留学し結婚したダンサーもいる。
その中で長(おさ)の旅行会社で働く"I"さんには、会社を設立してすぐの会社の温泉旅行の手配をしていただいたり。
大工見習いで入ってきてすぐさった奴。そいつはそのシェアハウスの中で恋人を作り、部屋から昼間から常に"アノ"声が出ていた。見習いは3日で辞めていた。
格闘家を目指すアイツは、線路を挟んだジムに通い、格闘家を目指していた。
美容師のアイツは、そのまま入った美容室の香港店に勤務になり、そのまま香港に渡って行った。
僕が出ていく前に入れ替わりで入ってきた占い師的な彼は、その後色々トラブルを起こしていた"らしい”。
らしいというのは、僕がその頃には近場で部屋を借り出した。これには訳がある。
そもそも、僕はそのシェアハウスをいたく気に入っていたし、出る時もそこでできた新しい友人たちと遊べるように、同じ新小岩内でアパートを借りた。家賃63000円。
8畳1Rのアパートだった。今思うとこれが適正かどうかはわからなかった。
その「シェアハウスの友人がいるから」という理由で借りた新小岩のその家は、シェアハウスに住む住人は、結構流動的だということを忘れていたため、2年経つ前にはほぼ誰もいなくなってしまっていて、僕も少しずつ仕事が忙しくなり、家と新小岩という場所はただひたすら仕事の作業場と、昼のバイトが終わり、駅からすぐの魚三という酒場で飲んで帰って寝るだけの部屋になった。
少しずつ新小岩に飽き始めていた。
寝ぼけたまま昼過ぎにとんかつを食べに「竹屋」に行ったり、近くの中華屋で月掛けで昼飯を食えた時に、そろそろ出て行く時かな。そう思い始めていた。
そんな新小岩時代の話は山ほどあるが、一番記憶が曖昧で、少し嫌な思い出がある。
曖昧という言い方が変かもしれないが、どれくらい曖昧かというと、「そいつの苗字が思い出せないくらい」曖昧なのだ。
あ、Hだ。
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